日露戦役で病没された兵士の多くは脚気が原因だった という話を聞いたことがあります。 医学の遅れもあるでしょうが 食生活の面で軍医の指導が適切でなかったのでしょう
か?
イワノフ
当時すでに「脚気がビタミン欠乏症だ」という説はありましたが、
まだ医学的に実証されてはいませんでした。
海軍では、とりあえず麦飯を食わせてみて、脚気を減らすことに
成功しました。
陸軍では、「食事を変えれば脚気がなくなる」という「迷信」を信じず
「脚気は細菌感染症だ」という常識に固執して麦飯食をかたく禁じ、
結果として数万人の死者を出しました。
責任者だった森鴎外(軍医少将)は
「日露戦争において、もっとも多くの日本兵を殺した将軍」
として有名です。
他のかたの回答にもあるように、当時はビタミンBの不足で脚気になるということがわかっておらず
日本陸軍の軍医総監森林太郎(小説家森鴎外として有名、本職は陸軍の軍医)は、脚気菌が存在するはずだと研究していましたが、ないものは発見できません。
しかしパンなど麦を食べさせると脚気が少ないということは、経験的に知られていたのに
彼は兵士に麦を食べさせることに猛反対しました。これが彼の文学者としての評価の高さに反して医学者として批判されているところです。
脚気の原因はビタミン不足ですが
当時欧米でもビタミンはまだ発見されていませんでした
ドイツの最新医学を修めてきた森鴎外などは
そのために かえって
麦食がいい という状況を迷信であるとして
結果 対応が遅くなってしまったようです
最新科学が 真実とは限らないということ
だからといって、とんでも学説を推奨はできませんけど
ご質問の直接的な答えとはなってませんが、以下に説明する状況から考えてご質問のとおりと思われます。
病没、いわゆる戦病死は、戦死そのものより戦争で人員が死亡する主要因となっています。
これは軍事活動中は衛生的な環境が維持しにくく、このための疾病や負傷個所の悪化などといった
健康上のトラブルが頻発し易いことにあります。
補給や医学が発達していなかった近世以前は、戦病死者がとても多く戦死者を上回る事が珍しくありません。
ことに、日本軍は補給という考えがなく、現地調達という方針であり、師団規模の何万人もの補給を
旅順郊外の203高地周辺で得ようとするのは無理があったと思われます。
また、軍医も十分でなく衛生兵などで対応しており、指導以前の問題であったと思われます。
おっしゃる通りです。当時は脚気の原因が判明しておらず、細菌による感染症と思われていたようです。森鴎外が麦飯の支給を却下したために病人は増える一方だったそうです。いつまでも病人が減らないので麦飯を支給してみたところ、病人が減少したそうですよ。
まず、昔は、主食は米と言う信念があったようです。
主に、脚気になったのは陸軍で、海軍は麦を食べさせたりした、脚気は無かったようです。
陸軍は、兵士は侍のように考えていて、食事は白い米に限ったようです。
何度か、海軍を見習ったらと言う案も出たらしいですが、当時は、米が食べられない人が麦を食べる風潮がったので、断じて麦を食べようとしかったのですね。
で、何年かして、麦がいいと分かって、陸軍も麦を食べれようになった(米に混ぜた)ようです。
その時の、海軍の軍医だったかが、後に柴里大学だったか、どこかの大学の創始者になって、世間は、麦飯大将と言ったとかって、NHKの歴史誕生とか言う番組で、放送していました。
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